本能寺の変の真相

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zoom RSS 「信長公記」からわかる事実

<<   作成日時 : 2009/04/07 22:25   >>

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まずは、注目するのは本能寺の変以前の明智光秀の行動がある程度詳しく「信長公記」に記述されていることである・変の直前、光秀は愛宕山を訪れている。しかも出陣の前に27日から28日にかけて宿泊もしている慌ただしい中での参詣である。5月27日には、くじを2.3回引いたとある。なぜ引き直したのか。また、28日の連歌会で、光秀の「ときは今あめが下知る五月哉」という有名な発句がある。この光秀の行動をどうとらえるかである。
 中国攻めへの戦勝祈願のためなのか、謀叛を決意したとみるのかでは、かなり光秀の心情が違ってくる。みなさんは、どう思われるか。歴史はついつい結果論から見てしまう傾向がある。信長の行動がはっきりとしない時に変の決意を果たして光秀はしたのだろうか。信長がわずかな小姓を引き連れて安土城を出発するのは、29日の事である。情報収集が難しい時代に信長の行動を光秀は、行動以前からキャッチすることができたのであろうか。
 少人数で本能寺にいる状況が、はっきりとしたから光秀は決行したに違いない。もしも、大軍を信長が引き連れていたとしたら、光秀は絶対に謀叛は起こさなかっただろう。
 やはり、私は光秀の突発的な行動であり、計画性は無かったように考えるのである。



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